2023年4月に公立大学が開学する

 私の住むA市にある、某私立大学が今年の4月から公立大学となる。この大学は毎年定員割れが続く典型的なFランク大学だ。偏差値のデータでもBF(ボーダーフリー:名前を書けば合格)~40である。
 近年地方都市にの私立大学が公立大学になる案件があり、公立化を機に入試倍率が上がる傾向が見られる。しかし、中には改編後数年で倍率の低下、それに伴う教育レベルの低下する大学も少数だがあるのも事実。
 個人的な考えだが、重要なのは「社会的ニーズにかなうレベルの学部、学科で構成されている」、「他の大学には見られない特長がある」だと思っている。

 旧帝大や旧一期校、慶応、早稲田のような超有名私立であるならまだしも、最後発の新期校はFランク校時代からの教授連などのしがらみも多く大学運営には多くのハードルが最初からあると思う。先行する他大学と同じことをするなら最初から勝負は見えている。

 公立大学として、自分が注目しているのが秋田県にある「国際教養大学」だ。
 この大学の図書館は規模も素晴らしいうえに24時間開いている。毎日の講義では膨大な課題が課せられ、学生は寝る間も惜しみ図書館で勉学にいそしむ。学生は学問することが楽しみなのだから、こんな生活が送れるなら、「いつ死んでも満足だ」くらい羨ましい。

 企業としても、「公立大学」の卒業生を採用するとして、講義内容だけを何とか理解し、単位を取得し、自発的で十分良質な研究もせず過ごしてきた人間と、強いられずとも、自発的に新しい知識を吸収し、自らの学問的理論を展開している人間と、どちらかを選ぶとすれば、その答えは明らかだ。
 そのためか、国際教養大学の入試の偏差値は公立大学にして70以上、東京大学と同じレベルだ。

 自分の経験からFランク校の学生の多くは思考が2次元的で、素直で従順で未来を創造する能力が弱く、すぐに諦める(Fランク校といえども素晴らしい学生もいる)。
 しかし、学生であるならば、講義の内容の真偽も自分で確認しなくてはならないし、卒業研究や大学院生であれば新しい情報を探して、失敗を重ねて、姿の見えない世界中のライバルい先んじてオリジナルの理論を打ち立てなければならない。
 自分が学生だったころ、友人は押し並べて、ある意味ひねくれていたし、変人で、知的で、攻撃的だった。教授連は学生達にとって師匠であるが、同時にライバルだった。

 大学の質はイコール教授の質ともいえる。教授は学生の意欲を奮い立たせる講義ができるか。講義の内容は最低でも国内トップレベルといえるか。毎年、充分な本数の論文を執筆しているか。毎年、すくなくとも数回以上の学会発表はこなしているか。
 これらの要件を満たしていない人材は、大学にとってお荷物であり、レベルと評価に対して極めて悪い影響しか与えない。
 学生の質より頭数が収入であるレベルの低い私立大学にとっては、ある意味正道ではあるが、本来の大学の姿ではないし、そのような姿勢の大学の存在が日本の教育を破壊してきたと思う。

 学部、学科の構成も重要だ。近隣の大学と重複する構成は無駄だ。ボーダーレスと言われる現代。大学横断的な単位付与制度を設ければ、地方の小規模な大学同士連携することにより、大規模大学と同等の教育・研究活動ができるようになるし、学生の奪い合いという無益な競争もしなくてよくなる。
 大学は教育・研究レベルの向上という本来の競争に専念すべきだ。

 大学の質と偏差値は必ずしも比例関係にはないことは知ってのとおりだ。一部の教授連は、いわゆる「老害」という状態となっているパターンが少なくない。
 老害教授は「俺は偉いんだぞ病」にり患しており、新規性を失っており、定年まで、いかに権威的に過ごすかに注力している。

 この町で発行されている某月刊誌に、この公立大学の新しいキャンパスを建設するとすれば、どこが良いか、市長が学生に尋ねたという記事が載っていたが、学生たちは「断然、街中」と答えたという。
 この記事を見て、「やはり現時点では、Fランク学生しかいないのだろうし、脱Fランクを目指すうえで、Fランクの人間に答えは出せるわけがない」と確信した。要は彼らは学問よりも遊びを優先しているのだ。
 学問するには、膨大な参考図書が必要だし、騒音や社会の喧騒から隔絶された環境が必要だ。大学が可能であれば、地方に広大な土地を取得し移転したがるのは、このためだ。
 Fランク学生の要望を聞き入れている限り、脱Fランクはあり得ない。学生は市にお金を落としてくれるお客様ではない。時には手厳しい批判をするパートナーであるはずだ。

 かなり、荒療治になるかと思うが、入学した学生の5割程度しか留年無しには卒業できないようなシラバスにすべきだと思う。
 英語の他、もう1か国語の習得は必須であり、3・4年目の講義は少なくとも半分は外国語で行うとかにすべきだ。

 この新しい公立大学には、個人的には全く期待していないが、開学してみたら、全く想定外に凄い大学になったと驚かせてほしい気持ちもある。
 いかに薄汚れた垢を落とし、新しい時代の思考力をつけて、若返れるか。「知の創生」こそが大学の責務。そこにこの大学の将来がかかっていると思っている。

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